認知症患者が起こした鉄道事故の責任はどこに? 民間保険では救えないのか?

2025年には65歳以上の5人に1人、約700万人にまで増えると予想されている認知症患者。徘徊中の事故や加害事故もじわじわと増えてきています。そんな中、2016年3月1日、非常に注目を集めた、認知症患者が起こした鉄道事故による損害賠償に関する裁判の最高裁判決がでました。

認知症患者が徘徊中に起こした事故

《要約》徘徊中に電車にはねられ死亡した認知症の男性の遺族にJR東海が損害賠償を求めた訴訟の上告審で、最高裁第3小法廷(岡部喜代子裁判長)は1日、妻に約360万円の支払いを命じた二審判決を破棄し、家族の賠償責任を認めない判決を言い渡し、JR側の逆転敗訴が確定した。 上告審で遺族側は「家族に監督責任があるとすると認知症患者に関わりを持たない以外に方法がない」として監督責任を否定し、妻は必要な注意を払っていたので賠償責任もないと訴えた。JR側は「介護の方針を決める立場にあった長男にも監督責任がある」と主張していた。 (日経新聞)

この事故は、2007年12月7日、愛知県大府市のJR共和駅構内で起きました。家族が目を離したすきに、要介護4の認知症患者の男性(当時91歳)が家を出て徘徊。ホーム端の階段から線路内に立ち入ったとみられ、電車にはねられて死亡しました。日ごろ、男性の妻や長男の妻が男性の介護を行っていましたが、出入口のセンサーのスイッチを切ったままになっていて、家族は男性の外出を食い止めることができませんでした。

JR東海は、事故による振替え輸送費や人件費などを負担し損害を受けたとして、家族に対して720万円の損害賠償を求める訴訟を起こしました。

目次

一審・二審の経緯

一審の名古屋地方裁判所は、長男の監督責任と妻の過失責任を認め、2人に対して約720万円の賠償を命じました。長男は横浜に住んでおり、離れて暮らす子どもにまで監督責任が及ぶのかと、認知症患者のいる家族にとっては大きな衝撃でした。また、認知症患者を施設でなくあえて自宅で介護しようと頑張っている家族にとって、改めてリスクの大きさを突き付けられた形でした。

しかし、二審の名古屋高等裁判所では、一審とは異なる判決を出しました。離れて暮らす長男の監督責任は認めなかったものの、同居して主に介護を行っていた妻(当時85歳)には配偶者として監督責任があったとして約360万円の支払いを命じました。

この判決に対し、妻自身も要介護1で下肢に麻ひ拘縮があるなか懸命に介護をしてきたにも関わらず、責任を負わされるのはどうなのか、また、監督責任を負う人のリスクの大きさから認知症患者は部屋にカギをかけて閉じ込めるしかなくなるのではないか、などといった声が上がりました。あるいは、監督責任が及ばない介護のラインが引かれることも、今後の介護のあり方に影響すると思われました。JR東海も遺族もともに二審の内容を不服として、最高裁判所へ上告しました。

最高裁は家族の監督責任を否定!?

社会問題として多くの人が注視する中、同居の妻と離れて暮らしていた長男それぞれの監督責任の有無が争われ、最高裁判所の判決が3月1日に下りました。妻に約360万円の支払いを命じた二審判決は破棄され、同居の妻にも離れて暮らしていた長男にも監督責任を認めないというもので、JR東海側の逆転敗訴が確定しました。

妻は要介護1。長男の妻のサポートを得て介護を行っていたため監督義務者とは言えず、長男も20年以上別居し、月に3回程帰っていただけのため、亡くなった男性が加害事故を起こさないよう実際に監督することは難しかったものと判断されました。 一方で、長男は監督義務者に準ずべき者ともいえますが、センサーやカギをつけるなどして監督義務を怠ってはおらず、賠償責任は免責されるという意見も出たようです。

ただし、最高裁の判決は、認知症患者が起こした事故に対して家族に責任がないといっているのではありません。あくまでも「今回のケースにおいては」という前提で、監督責任者が不在だと判断されたにすぎません。今回の判決は、同居の夫婦が全面的に監督義務者になるわけではなく、監督責任を問える客観的状況があるかどうかで監督責任を負う人が決まると、一定の基準を示したことになります。

被害者の救済はどうなる?

今回の判決では、監督義務者がいない状態で認知症患者が加害事故を起こした場合に、被害者は救済されないという問題が残ることも明らかになりました。今回は被害者がJR東海という大手企業だったため、最高裁判決の内容はむしろ多くの人に受け入れられましたが、相手が個人だったらどうなるでしょう。認知症患者が火災を起こして延焼した隣家の賠償に関する裁判も行われていますが、もしも同様に監督義務者なしとなった場合、隣家は補償されないことになります。認知症患者が運転する自動車の事故で人が亡くなった場合も同様です。大きな問題が残ります。

保険でカバーできるかは「ケース・バイ・ケース」

では、こうした認知症患者の加害事故による損害にどう備えればいいのでしょう?  民間の保険で「個人賠償責任保険(特約)」という保険があります。傷害保険や自動車保険、火災保険などの特約として付けられる保険で、日常生活の中で、法律上の賠償責任を負ったときに被る損害を補償する保険で、他人にケガをさせたり、他人のモノを壊した、あるいは飼い犬が近所の人にかみついたなどをはじめ、賠償を求められたときに補償されます。

保険金額1億円で加入しても、保険料は年数千円程度で済む上、家族で1本入れば「生計を共にする同居の親族」だけでなく、仕送りなどを受けて「生計を共にする別居の未婚の子」も含まれます。最近は、損保ジャパン日本興亜をはじめ、補償範囲を広げて、別居の認知症の親まで対象になるように改定する損保会社も出ています。広く賠償責任に備える意味で、一家で1本入っておいて損はないでしょう。

ただし、認知症患者が起こした加害事故がすべて補償されるかというと、「損保会社の約款次第」「事故の内容による」としかいいようがないようです。保険会社によっては、約款で個人賠償責任保険の対象にならないものとして「被保険者の心神喪失に起因する損害賠償責任」を挙げており、認知症患者が起こした加害事故が対象にならない場合もあります。また、補償の対象になる損害の厳密な規定についても各社で異なり、「個人賠償責任保険に入っているから大丈夫」とは言い切れないようです。

一番いいのは、国が関わって公的な補償制度を作ることかもしれません。認知症患者による加害事故の賠償責任に備える、車の自賠責保険のような公的保険があればいいですが、任意だと未加入の人も出てしまいます。公的介護保険に補償が付随する形が理想かもしれません。いずれにしても、民間であっても公的でも、「認知症患者の加害事故に備える保険」を早く形にしてほしいものです。

参考

よかったらシェアしてね!

この記事を書いた人

経済誌・経営誌などのライターを経て、1994年より独立系ファイナンシャル・プランナー。FPラウンジ 代表。個人相談やセミナー講師の他、書籍・雑誌の記事や記事監修などを行っている。95年、保険商品の全社比較を企画・実行して話題に。「保険と人生のほどよい距離感」をモットーに保険相談に臨んでいる。ライフワークとして大人や子どもの金銭教育にも携わっている。座右の銘は「今日も未来もハッピーに」。

目次
閉じる